silent0.97
もう朧げにしか思い出せないのヨ。
貴方が私にかけてくれた言葉もその声すらも
今まで沢山時間の流れに流されて、いつもそれなりに生きてきた。
愉しい事は沢山あったしそれ以上に哀しい事も辛い事もあった。
波があるように。
不幸と幸福が交互に遭わられるようなものだと。
今となってはそんな訳がないのだが、昔は半ば本気でそんなふうに思ってたのだよ。
今は情けなさに溺れているのです。
好きな人の生活の幸せをあれ程までに望んでいたのに、
その幸せの邪魔しているのはいつでも私だと気づいたのです。
好きな人が恋人になり配偶者になった。
その人との間に望んだ子どもが生まれる。
壁も屋根もあって雨風凌ぎ
食べ物にも困らず流行病にもかからない。
まるで絵に描いたような幸福の塊のような生活
いつかの私はこれに憧れて、そしていつのまにか叶ってた。
そして今日私は夫を泣かせた。
綺麗な目から白い肌に透明な液体が垂れていく。
こんな時でさえ、「相変わらず綺麗な顔だな」と思う自分を馬鹿だと思う。
でも、
本当に、
流れる涙が尊くて、
もう少し見たいと思ってしまった。
いつも幸せでいて欲しいのにな。
23/47
子どもが熱を出した。
今日は予防接種に行ったので、正しくは熱を出させている訳だが。
この汚い世界に対応する為小さな身体で精一杯生きていると思うと、なんだか、とても、健気だ。
ぽかぽかと熱い身体で必死にしがみついてくるこの小さな怪獣
熱が出ていてもよく笑い、よく飲み、よく寝る、素晴らしいね。
この先何度もこの子に予防接種の注射を打って、熱を出させるのかと思うと心苦しいが
大きな病気にかかって苦しむのを少しでも避けられるのかと思うとお互い暫しの辛抱である。
どんな風に接してあげたらこの赤子は落ち着くのだろう。
どんな風に抱いてあげたらこの赤子は深く眠れるだろう。
普段より、より一層、甘やかして、最大級幸福な睡眠を提供してあげたい。
普段の元気な姿の時だけでなく、こんな風に辛抱堪らん時こそ母の愛をこれでもかとアピールするチャンスだろう。
お父さん、お母さん、おばあちゃん、おじいちゃん、知らない人の、区別がはっきりと付かない時なんて、
誰がなにをしても、今はもれなく全部お母さんからの愛情と思うのでは???
へへん!
ノンシュガーは90秒後
時々何もかも甘くないと思う日がある。
甘くないものを欲する日もある。
夜にノンシュガーの珈琲を飲んだり
ほうじ茶を作って飲んでみたり
黄色の文字が緑に変わる時
意識を向けてみたりネ。
人から優しくされる度に
どうしてこの人は優しいのか時々考える。
勿論人によって答えは違うのだけれど
大体"ありのままの人間性が素敵な人だから"
と思うようにしている。
余裕が有るとか無いとかだと、
なんとなく"余裕"という言葉がいやらしくて
あざとく計算されたものに見えてしまう。
ありのままという計算できない丸出しの本質が"優しい"から、人に優しく出来ると思うのが1番腹落ちするのだ。
人に見えない面がどんなにいやらしかろうと
他人は見える面だけで評価をするから関係ない。
時にボロが出ても大半の人は其れが本質だと感じない。
自分の評価は他人が必要以上に簡単につけてくれるから
自己肯定と自己愛以外、自分を卑下するような要因は捨てて仕舞えばいい。
私は自己肯定がうまく出来ないし、自己愛って言うのも他人ありきでしか考えられない。
だから、もし、自己肯定出来て自分を愛せる人はずっとそのままし続けて欲しい。
私は、私の友人が世界上位者に入るレベルでみんな幸せになるべきだと思うし
その為に私が役立てるなら割と本気で何でもしちゃう。
だって、幸せになるべくして生きてる人ばかりだよ。
真面目で、努力家で、人の為に動けて、そして愚かで。
笑ってしまうくらいどうしようもない事で沢山泣いたり、笑ったり、傷ついては成長していく友人に
沢山の小さな不幸と問題を。
それを乗り越える力と得る経験値。
最後に全て終えた時に総合的に最大級の幸福を。
そうやってしかめっ面より沢山の笑顔が見たいから
スロウ
久しぶりに湯船のお湯が無くなるまでお風呂に入っていた。
水量が減る時に身体がずっしり重くなる感じは随分久しぶりで、よく独身の時やってたな。
昔はよく長風呂していて仕事に疲れた時なんかはお酒なんかも飲んでいた。
良くないことをしてた。
些細なことだけど、それが重なれば些細ではなくなるよ。いつだってね。
ただの痴話喧嘩でも結婚したら2人の問題じゃなくなる事もある。
夫婦の喧嘩でも家族が増えれば夫婦間だけの話ではなくなるよ。
言葉にしたらとても簡単な事でも、睡眠不足とか疲労とかストレスとかで複雑な話になってしまう。
勿論どちらかが分かっていても、どちらかが分からなければ話は纏まらない。
だから多分私は今赤ちゃんを抱っこしながら部屋を出たんだろうな。
いつまで経っても私がまだまだ甘いんだろうな。とか
今思う事は正常ではない事を分かっていても悲観的な気持ちにしかならないから本当は早く寝て仕舞えば良いんだ。
4:27
子どもの寝息
時刻は4時27分
少し外が明るくなってきた気がする。
息子が3時半頃起きて、おむつを変えミルクを上げ終わってから30分度程たった。
最近よく読むブログがある。
暗い部屋、明るい画面をスクロールする。
素敵な言葉に心が蕩けそうになる。
想像し、感心する時間だ。
部屋は少し寒くてまだまだ春を感じられない夜が続く。
外より部屋の中の方が寒いこの家で、暖かさを感じれるのはいつになるだろう?
あ、さっきまで起きていた夫も寝息を立て始めた。
夫の寝息は私の子守歌のようなもので決して煩く無く、小さ過ぎず大き過ぎずのボリューム。
彼の寝息話聞くとわたしも眠くなるのでそろそろ眠りにつこうと思う。
0.92
今日はおかしな夢を見て、久しい人とよく会う日だった。
中学の時の同級生、昔のバイト先の先輩
比較的友人以外の知り合いに会う事が殆ど無い。だが今日は2人も知った人に会った。同級生は私に気づかず私も特には声をかけなかったし、車ですれ違った先輩もこちらを見ていなかったので多分気付いていないと思う。
よく考えてみれば「知り合いに会う事が殆どない。」のではなく、多分殆ど「私が気付いていない。」事が多いだけで今日は偶々気付く日だった。のが正しいと思う。
今朝おかしな夢を見たからだろうか。
今はもうどんな夢を見たか忘れちゃったけど、いつもより不思議な気持ちになったのは覚えている。
懐かしくて、切なくて、おかしくて、馬鹿らしいような、あれ?なんの夢だっけ?
それにしてもくしゃみが止まらない。
喉が痒くて鼻水が垂れ続ける。
目が痒くて、子供の泣き声が頭に響く。
夫が気を使いひとりでゆっくり湯船に浸かるようにと時間をくれたがなんだか余計に子どもが気にかかったり、それでもなんだかむしゃくしゃして、湯船にスマホを落としたくなる日だった。
ああ、畜生花粉め
sssg992
引越しをした。
要らないものを持ちたくない私は普段からも躊躇なく物を捨ててしまうが、引越しなんてイベントにゃ要らない精神が牙を剥く。
私の持ち物で1番多いもの、そして大量のもの、それは本・資料・参考書である。
大学や大学院の時の講義の資料なんて、何で取ってあるの?って思うかもしれないが
あんなに噛み砕いて分かりやすく丁寧になった資料なんて無いんだよ。
出来れば小学祭の時からの教科書さえ取っておけばよかったと思う。
たまに読むにはもってこいだと思うんだ。
それにしたって本棚を持ってないくせにやたらと本ばっかりあって、それでもまだまだ足りなさを感じてしまう。
読みたいときに手元にあって欲しいのと、コレクトという枠もある。もう販売されてない本や歴史的に価値のある本もある。
同じ内容でももう文字もよく分からないくらい古くなった本なんてよだれが出るほど欲しいもので。
自分では買わないジャンルの本でも先生や友人に勧められた本もある。これから時間をかけて読み砕いていきたい本もある。
物語ではなく参考書に近い本ばかりだからこれらは数時間で読み切りではなく何度も何度もページを戻って調べながら読みくだくもの。
だから今は手をつけられない。
手をつけ始めたら授乳出来ないと思うからね。
この子が勉強を始めるとき隣で一緒に勉強できたら良いな。