今日も昨日も明日も

 

「〇〇くんのママ!おはようございます」

 

そう呼ばれ始めて1年以上経つ

特にここ最近話かけられる事が増えたし、会話をすることが増えた。と言っても立ち話するほどの関係でもない。大抵は子どもたちが各々靴を脱いだり履いたり、帰る準備をしていたり、車に乗るまでのそんな合間だ。

 

そんな合間でも大人に余裕がない。というより子どもの方が余裕も時間も持て余しているのが良く分かる。送迎の時間に見たこともない子が「〇〇君(息子)のママだ!」と話しかけてくれる事や、自分の息子も知らない人をみて「〇〇ちゃんのママだ」と言う事があるからだ。そしてそれを覚えるのは中々に難儀なことなのだ。

知らない母親らしき人に声をかけられるだって緊張するし正直しんどい。

 

私からすれば朝登園してから「いってらっしゃい」と見送った後玄関を出て門まで歩き振り返るとそこには荷物の整理をしていたり、友達と遊びだしていたり私の事を見ず自分のすべき事に取り組んでいる息子の姿しか見たことがない。

少しも名残惜しそうにしないじゃあないか。と寂しくなった事も多々ある。

これだって親の心子知らずじゃないか?と。

 

そうはいっても実際は多分お互い様で、息子も私の背中を何度も寂しい思いをしてみていたのだろう。

 

 

と思いたい。

 

 

まぁ実際親が気にかけてもいなかった他の子どもと親しくなり、時に喧嘩をし、他の子どもの親まで認知し交流するその姿勢を見ていると子どもの方がきっと沢山の刺激の生活の中でとてつもないスピードで成長し続けているという事実に酷く感心している。

きっと生活に余裕があって時間を持て余しきちんと周りをよく観察しているのだろう。何度も心の中で思い出し名前を呼ぶ練習をしたり、思い更けてみたり、感じ考え行動したのだろう。そんなわが子がたまらなく愛おしいと思うの同時にそこに気づけるだけの余裕が私にあって良かったと少し安堵する。

 

子育てっていいな

衰退し後退しているだけと思いきや私自身色々な経験が出来ているな。

アウトプットの方法としてブログに書いているだけであまり意味のない行動だけどこの事柄をメモに残しておこうと時間を割いた事をちょっと褒めたい。

 

私は基本的に手帳でスケジュール管理をしているのだが月間のタスクっていうのはどうしてこう難しいものばかりなのだろう。日々のタスクをいうのは細分化されていて行動するのは簡単なのに、月間のタスクというのは非常に時間も労力も必要なもんだ。

 

実際そんな難しくはない。難しくはないのだけど、どのタイミングで出来るだろかどのくらいの時間を有するのだろうか。そんなことを考え行動するまでにまた時間を必要とするのだ。簡単に一日のスケジュールに組み込めない故に私の月間のタスクな訳だが。

 

これが実は月を跨いだり、事によってはタスクが消えたりする。

消える分にはまぁいいとしても、「月を跨ぐ」これは非常に厄介なのが分かって戴けるだろうか。

 

9月から10月に月を跨いだタスクが実は4件もある。もう現実から目を逸らしたい。それでも今日も私は「〇〇君のママ」と呼ばれ笑顔で返事をしよく知りもしない他人と交流しているのですこぶる偉い。と言う事だ。終わり

11:03 シンデレラボーイ

年が明けてもう4か月が経とうとしている。

毎日駆け抜けている証拠だろうか時はあっという間だ。

 

1月新年あけて約2週間、息子が2歳の誕生日を迎えた。

忘れもしない2歳の誕生日は主人の実家で誕生日のお祝いをして貰い、その日の夕方から夜になり体調が悪くなり救急で病院へ行った。

 

3時間以上の点滴を打ち帰ってきたのは深夜だった。診察の結果「お腹の風邪だね。」と言われ、薬も処方されず息子もだいぶ落ち着き安堵したのもつかの間

 

次の日夫婦揃って緊急搬送

 

救急車に乗った直後から私の記憶はないが酷かった私だけ緊急入院し、主人は点滴と薬を処方され朝方タクシーで家に帰宅していたらしい。

先生が部屋に来て「感染症腸炎ですね。奥さんの方がかなり酷かったので入院です。大体1週間くらいですかね。うんたらかんたら」

 

子どもを置いてきた不安や主人の心配に明け暮れていた時に看護婦さんが優しい言葉をかけてくれた。「これが白衣の天使現象ってやつか・・・」なんて考えながらも何日も大きい窓から外の景色を見ていた。

 

5日でほぼ無理やり退院し、病院に迎えに来てくれた息子はなんだか他人を見るような目つきだったけど抱っこしたら笑顔で「大丈夫?」と話をしてくれた。

 

その後は体調不良もないが、保育園でやっとできたお友達のママが「旦那さんの転勤で引っ越す為保育園移動する。」というニュースには酷く心を揺さぶ差れた。

 

「ママ友」に苦手意識を持ち、必要ないと思っていた私が社会人になり母親にもなって初めてお友達になりたいと思えた人だった。それが結果的にママ友になったのだ。

 

いつも笑顔で女性らしいふわふわした服装、白色や淡い色・チュールやリボンがよく似合い花が好きで、でもお淑やかすぎずハキハキ愛想のいいあの可愛らしいママが引っ越すだとお?

 

その報告をきいた日の夜半泣きで主人に報告したら

「え、きも あ、じゃなくて残念だね・・。」

「え?今きもって言った???は???」

 

大人になってから「友達が欲しい」と思うことも少ないが

「この人と友達になりたい!」と思うことがもっと少ない。

 

人に憧れるような浮ついた気持ちでそれはまるで初恋のようなときめきと不安に似ていて、勇気を出して声を掛けたらびっくりするくらい喜んで友達になってくれた。

この機会が多分一生もののイベントだったと思う。

 

そんな大きな事件が2つ乗り越えた時もう桜が咲きそうな時期になっていた。

 

流行りの曲を耳にして心が追い付かないのも、改めて歌詞を読んでも全く共感できないのも、それは身体だけではなく心も少し大人になったと言うことだろうか。

そう考えると少し安堵する。

 

こらから暑くなる。

いつでも元気な私でいたいね。

きっと未来は38分後に来る

 

ずっと曇りの日の続いているような、夏前の梅雨の雨が降る前の生温い気温の中にいるような、そんな気持ちの悪い日がずっと続いている。

 

そして年末からずっと嫌な気が続いている。何か嫌なことが起きそうな気味の悪い気持ちが続いているのにも関わらずその心配とは裏腹に悪いことは一向に起きない。

 

気のせいかと思いつつ生活していても、ふとした瞬間に背中の方からゾクッと嫌なものに背中を摩られて居るような気がする。

 

こんなのが続いていたので本年はあまりよくないことが続くのではないかと年末から不安でなるべくどこにも出かけたくないし健康面でも体調を崩したくない気持ちでいっぱいだ。

 

仕事は順調だし、人付き合いも問題はない。

負の感情はなるべく手放したいし、悲しい思いは偶にだけでいい。

今年は去年以上に身体を動かしたいし、スポーツでも始めたい。

 

先週の休日にすっぴんでウエア着て音楽聞きながら30分ほど走って筋トレとストレッチをしたらすごく気分がよかった。筋肉痛にならなかった事が普段から体を動かしている成果なのかと少し自信もついた。

 

出来れば格闘とか武術みたいなのに挑戦したいんだけど息子との時間をこれ以上削るのはちょっと悲しいとも思う。 息子がもう少し大きくなって一緒に習いに行けたらいいな。

 

 

 

 

 

not sugar 003

他人の幸福に振り回され酷く体力を消耗する日々だ。

 

 

今の生活の形は太陽の周りを他の惑星が回っているが如く、家族を中心核として様々な要因がその周りを飛んでいるようなものだ。

 

そして「好意」という名の矢を致命傷にならないように身体中の弱点を避けながら受け止める練習の毎日だ。きっと普通の人は大きく手を広げその矢を全身に刺して、他人にこれでもかと披露して歩くのだろうけど、私はちょっぴりそれが苦手だ。

 

そういう人たちは刺さる矢から痛みを感じていないしアドレナリンどっくどくなのだろうか。若しくはその人達はきっと魔法使いか能力者で矢が身体に刺さる瞬間に矢の先が吸盤に変化して刺さるのではなく吸着しているのだろうか。

 

まぁどのみち私は一般的な非能力者で只の凡人なので、「あくまでも善意への道には悪意が敷き詰められている」と思っているし、他者からの好意や自分から他者への好意は時として矢にも銃弾にもナイフにもなると思っている。

 

今までは好意って言うものはきっと柔らかい綿のようなふわふわした、そして甘いものだった。でももう今では私には矢のような鋭利なものでしかないんだ。

 

でも他人からの鋭利な刃物が全て嫌だというわけではないんだ。だって仮に鋭利だとしてもそれは他人との交じり、コミュニケーションだし?人間同士のコミュニケーションは生きているうえで失くせない代物だし?時に傷ついて血を流し体内の血液を生成する事って私にとってもとても必要なものだと思うし?まぁ痛くないときだってあるしね。

 

ただ基本的には鋭利であるから取り扱いには気をつけましょうねって話で、こっちのほうが何かと納得のいくことが多いのだ。

 

そのそも大前提として

この世で一番大好きな旦那さんだって、他人だし

この世で一番愛らしいわが子だって、他人だよ。

 

おなかを痛めて産んでくれたお母さんだって他人だし

いつだって何時だって心配してくれるお父さんだって他人だ

 

出会った時からずっと尊敬して止まない教授だって他人だし

死んだおばあちゃんやおじいちゃんだって他人だよね

 

勿論今すれ違った貴方だって「他人」

 

ねえ、でもなんだか時代は難しくなっていって他人という言葉はどこまでも忌々しいね。1から10まで話す必要のある事をどこまでも簡略化して、関係をどんどん疎遠化したがる。私から言えばそれこそが忌々しいけれど。

 

自分のたった29年しかない人生経験の中から選ぶ決断が如何に浅はかか現実を見ると吐きたくなるし、自分の愚かさと醜さに気が滅入るよ。

 

でもそれでも前を向く事が正しいと怒鳴られるし、止まって考える時間は与えられずよそ見をせず直向きに走る奴が偉いみたいな無言の圧の中、私だけは罵声を浴びせられないようになんとか歩いている感じ。

そもそもいつスタート地点に立たされたのか誰一人覚えちゃいないだろ。

 

実際は他人は誰一人として自分に興味がないと分かっているし、そんなこたぁいわれるまでもなく真意ですよ。

 

だから私はなるべく早く能力者になって善意を手で受け止めたいし、なるべく痛くなく矢を体に刺してやりたい。

 

大嫌いな秋がやっと終わって今年ももう終わりそうです。

沢山の人からの好意を良い意味に捉えて素直に嬉しいと感謝できる人間に早くなりたいです。本心で「いつも良くして頂いて有難うございます。」と言いたいな。

 

アスファルトに顔を埋めろ

どうでもいいことの継続だけが続く。

 

寒い朝小さなアラームの音で目を覚まし、隣から聞こえる小さな寝息と全てが柔らかい人間を起こさないように静かに猫のように体を起こす。

 

その日の気分での飲み物を用意するが、ここ最近は専らカプチーノだ。

その為のお湯が沸くまでの間に素早く洗顔と歯磨きを済まし、飲み物をもって自室へ行く。

自室のヒーターの電源を入れて温かい飲み物を飲みながらキャンドルとお香に火をつけゆっくり深呼吸しスキンケアを始める。

 

朝に一番余裕を持ちたくなったのはここ最近のことだ。

朝少し早く起きその日の気分で納得のいく支度をすると気分よく一日のスタートが切れる。それは誰の為でもない、自分の為の余裕だ。

 

スキンケアをしっかりすると化粧がよく映える。

化粧がうまくできれば洋服を選ぶのも楽しい。

洋服決まれば髪型もしっかり整えたくなる。

自分がしっかりお洒落できれば行動に注意を払える。

 

私は少しでも気を抜くとだらしなくなってしまうし品がなくなるので、外見を整えるというのは精一杯の自己防衛と自己肯定なのだ。

 

柔らかい朝日のさす部屋でお香の香りを嗅ぎながら、ゆっくり丁寧にスキンケアをする時間は幸福だ。少し音量の小さいテレビでニュースを、スマートフォンからchillな音楽を流す。気分が上がってきたら少しストレッチもする。

 

朝から身体を十分労り今日一日を乗り越えられるように自分へエールを送る。

毎日びっくりするほど疲弊し、一日仕事を休んだくらいじゃこの疲労は取れなくなってしまったのなら意識的に毎日自分を労わり疲れを減らせばいいという発想だ。

 

生活の中では理不尽だと思うことも少なくないし、そういう類のものは私のHPとMPを削るものだ。自分を甘やかすのも、戒めるのも、信頼できるのも、安心できるのも全て私自身だからこそ、私は私を精一杯応援して精一杯護るのだ。駄目な時はしっかり戒め反省をするし、良く出来た時には誰よりも自分を褒めてあげるそうやって他者ではなく自分を信頼し自信を強くするのだ。

 

今まで生きてきてしっかり学んだ教訓のひとつ

自分の親友は自分であるということ。

 

血の繋がりのある家族はあくまでも血がつながっているだけ。

夫に関して血もつながっていないただ好きな人。

家族でも恋人でも皆誰しもが一方的であるということ。

 

そして私は私の一方的な感情で家族を愛し護るのだ。

 

冷たい考えの人間だという人もいるだろう。

でも自分でしっかり納得のいく考えを持たないと毎日平然と生きれないんだ。

なんでもいい。悪意のある思考でもずる賢く、汚い考えでもいい。自らがしっかり考え納得のいく事柄ならストレスも減るし、頑張ろうと思えるものだ。

 

まだまだ人生は長くて毎日はあっという間だ。

いつ死ぬかわからないこの私を今日一日精一杯生かすための記録。

 

そしてこれらは私が思うよりもっともっと”どうでもいい”記録だ。

 

「ずっと」ということはきっとない。

 

「ずっと」好きだった人の好きな所はそっと薄まっていき細やかでもアップデートしなければアプリケーションが終わってしまうように愛情は薄まっていくのだろう

 

好きだった女は男と恋に落ち子を産み女ではなく母になった

聞きたくない話、見たくない報告、知りたくない事実

言い方は違うが私にとっては全てが同じことだ

 

きっと初めて愛した男はもう私の知らない男で

私を一番魅了した男はきっと今も他の女を愛で

大好きだった女はきっともう私などを見ることはないだろう

 

私はきっと寂しがり屋というやつで人との関わり合いの中で息していたかった

友人関係を蔑ろにした記憶は殆どないのに蔑ろにされた気でいる馬鹿野郎だ

 

「ああ愛されたい。」とこんなに望む日が来るなら一度だって愛さないでほしかった

死ぬまで愛す気がないなら私の手を取らないでほしかったし、私の人生に家族はちっとも関係ないと思えてしまったんだ

 

私は勝手でみんなもきっと勝手だ。そしてそれが世の当たり前であえて言葉にすることのない事実

 

皆が皆、自分の為に勝手な感情で人を振り回し、息を止めさせようとする

勿論そこに悪意はないけど悪意なんて最も質の悪い善意だってこと私は知ってるよ

 

振りまわされる私は同時に振り回しもしていて、勿論問題が山積みな訳で私自身の捉え方の問題だってわかってる。

 

それでも家族の為に生活と整えようとすることも

家族に幸せになってほしいと願うことも

その為に期待に応えようとすることも

(仕事も同様に)

 

本当に無意味だと常々感じる日々で全てが何にもならない「無駄」の積み重ねなのだ。

 

金閣寺を夢見る少年が実際の金閣寺に落胆したときのように私は今人の人生に絶望しているよ。

 

 

正しく生きる必要のない世の中で私は今日も正しさを追っている

追えば追うほど自分の死がすぐ隣にある事に気づく

 

お疲れ様です。ではなくご愁傷様ですといってくれ

 

 

 

 

 

どうして私はこんなに愛を求めるのだろう

全くもって納得できないな

今日の帰り際にどうにか死ぬことが出来ないだろうか

無責任に死ぬことはどうして許させないのだろうか

「お腹引っ張るよ〜」「おきゃあ!」

 

ちょうど一年前の今日私は生まれてはじめての出産を経験した。


何となく、記録に残しておきたくなくて1年間触れなかった内容事細かく記録しようと思う。

 

慌ただしい10ヶ月を無事過ごし出産予定日の1月30日よりだいぶ早い1月15日産婦人科に入院。


出産が早まった理由は「妊娠高血圧症候群」の可能性がかなり高かった為である。

 


何が不安というわけでもないのに、兎に角寝れないのだ。1日の睡眠時間は3時間ほどで、どんなに食事を気をつけても睡眠が取れない為血圧が上がってしまっていたようだ。

 


先生に正産期に入ったら、すぐ産みましょう。と言われて内心では「いつ破水や陣痛が来るかわからない恐怖より早めに病院にいる方が安心だろう」と思い早めの出産を決意した。

 


私の入院した病院は旦那さんや家族の泊まりは自由だったので毎日旦那様が病室に泊まってくれていた。

 


夕方から促進剤を飲んで腕に針を沢山刺されお腹にも沢山のコード

部屋の中では赤ちゃんの心音がずっと流れている。

 


夕飯を済ませた頃に生まれて初めの陣痛を経験するも子宮口は開かず、陣痛もいつのまにか収まってしまってまた浅い眠りの夜についた。

 


深夜何度かアラームが鳴ったのをぼんやり覚えている。看護婦さんが何度も部屋を行き来して、時折お腹に微弱の電気を流していた。

 


特に痛くもないし、苦しくもない。

ただ眠気と闘いながら「大丈夫ですよ〜」って優しく笑う看護婦さんを「大変な仕事だな」と感心までしていた。

 


朝になって先生に検診してもらい、衝撃の事実を告げられる。

 


「あのね、門脇さん

落ち着いてこれ、みてもらいたいんだけど…」

 


そう言って差し出されたのは昨晩ずっと測っていた胎児の心音が記録された紙だった。

 


そこにはギザギザと線が書かれているのだが、一直線に書かれた場所が目に入った。

 


「ここ、一直線なの。

これね、赤ちゃんが心肺停止してしまっているんだ。

 


赤ちゃんによってはね

促進剤が合わない子もいるんだ。

 


でも今は心音聞こえるでしょ?

大丈夫ちゃんと生きてるよ。

 


このまま促進剤を飲んでもう少し出産まで頑張っても良いんだけど

もしかしたら生まれてきた時に元気がない事もあるから、

 


お母さんにはリスクを負ってしまうけれど、子どもがノーリスクで元気に生まれてくる1番の方法としては帝王切開だと思う。」

 


合間を持たず私は「それでよろしくお願いします。」と答えた。

 


あの紙を見た時ゾッとした。

私は勝手に命を作って勝手にその命の芽を摘み取ってしまうところだったのかもしれない。と怖くなったのだ。

 


私がどんなリスクを背負ってもこの子が元気に生まれてこれなかったら。と焦ったのも覚えている。

 


今になってみるとそんな風に思えたのはもう母親としての気持ちが芽生えていたんだろうな。

 


12時まで様子を見て子宮口が開かなかったら帝王切開にしましょうと先生と相談して約束の12時

 


「まったく開いていないね、切りましょう。」

 


その後14時半ごろ手術台へ移動

 


テレビで見るような完全な手術台とスタッフさん。

みんな私を見て「頑張りましょうね!」「ずっとこの部屋にいるで、辛かったら声かけてくださいね!」

 


これから手術をするのにどうしてそんなに励ましてくれるのか。

私は帝王切開の本当の辛さを何も分かっていなかった。

 

 

 

あらかじめ帝王切開って検索しなくてよかった。

だって背中に麻酔打つなんて知っていたら、受け入れられなかったと思う。

 


暴れないように両腕を固定して、まるで十字架に貼り付けられたキリスト。

 


背中に針を刺されてポカポカし始めた頃下半身が動かなくなった。

 


意識があるというのは大変怖いことだ。

 


お腹が切られている感覚も、臓器をいじられている感覚もしっかりあるのだから。

 


隣でお腹の見えない旦那様が「どんな感じ?」とお腹に意識が持って行くような質問ばかりする。

 


「だめ!いまお腹に意識持っていきたくないの。

怖い!気持ち悪い!別に意識をも出ていきたい」

 


「じゃあ〜赤ちゃん生まれたら何食べたい???」

手術中という中でジャンクなものしか浮かばず答えに困っていた時

先生から「お腹引っ張るねー」と声をかけられた。

その次の瞬間腰が軽く浮くくらいの勢いでお腹をぐんっと強く引っ張られ驚いた瞬間

 


「おぎやあああああ!!!」

2020年1月16日15:00 息子の誕生である。

 


その後はもう息を整えることで精一杯だった記憶しかない。

 


息子と旦那様は看護婦さんに連れられて部屋を出ていき

気持ちの悪い感覚だけのお腹とどんどん孤独と恐怖と不安で息が乱れていくのを止めるため、ただひたすら深呼吸をしていた。

看護婦さんが見かねて手を握ってくれたような記憶もあるが曖昧だ。

 


「いっそ殺してくれ」とずっと思いながら地獄のような時間を30.40分ほどだろうか。

 


手術が終わる頃には全身に脱力感…瞼さえ開けられなかった。

 


なんとなく薄目で開けられるが、すぐに閉じてしまう瞼と周りからの声もはっきりと聞こえているのに全く体が反応しない。

 


父母と友人が声をかけてくれたのを覚えているが、全くピクリともせずきっと疲れて寝ていると思ったのかすぐ帰ってしまった。

 


その後義母と義姉が部屋に来てくれたが旦那様と軽くお話をしてまたすぐ部屋を出た。

 


薄暗い部屋の中旦那様がずっと隣で手を握っていてくれたのをよく覚えている。

 


時々ほんの少しだけやっと目があき見えたの泣きながら手を握る旦那様だった。

 


「こんなはずじゃなかった。

こんなに辛い思いさせるなら子供はいらなかった。」っと泣きながら手を握っていたのがいまだに頭から離れない。

 


旦那様を泣かせてしまったと悲しくなった。

 

 

 

麻酔も切れたのに全く動かない身体に浮腫ませないようにマッサージ器具のようなものが足につけられた。

 


夜7.8時頃麻酔も切れ目も開けられ、旦那産と会話できるようになった。

 


少しでも動けばとてつもない痛みに襲われるため全く動くことができないが、旦那様と目を見て話せる事で心への負担が軽くなった。

 


だが、私は足につけたマッサージ器具がどうも合わず兎に角気持ちが悪いのだ。不快でたまらない。

 


本来なら次の日までつけておく予定の器具を深夜に外してもらった。

 


看護婦さんが驚くほど私は回復が早かったようだ。

体を浮腫ませないように自分で足首や体を動かすことができたし、

次の日子宮収縮と浮腫をなくすため歩きましょうと看護婦産に促されたが痛み止めの効果もあって次の日には1人で歩くことが出来ていた。

 


産婦人科で働いていた義姉が「手術の次の日に歩いてる人初めて見た」と驚いてた。

看護婦さんも「んん?大丈夫休みながらね!無理はしないでね」と心配するが

痛み止めのおかげもあるし、痛みを多少我慢すれば案外歩けるものだった。

 

 

 

 


子供を初めて抱いたのは出産してから4日後

あまりの小ささと、気味の悪さと、愛らしさと、尊さと、色々な感情に襲われた。

 


それでも看護婦さんでもなく、おとうさんでもなく、私に手を伸ばす姿が本当に愛らしかった。

 


必死におっぱいを探し、必死に母乳を飲もうとする。

 


私はまだまだうまくあげられないし

息子もまだまだうまく飲めないし

 


どうして泣くのか分からないし、

どれだけ泣いても伝わらないし、

 


2人で困りながら、それでもあの部屋で私達は懸命に互いを探り合って求めあったのだ。

 


入院中、はじめての3人の夜

枕元の灯に照らされながらひゃっくりする息子を抱きながら旦那様がこれでもかと優しい声で「ひゃっくり苦しいね、大丈夫だよ、すぐ治るからね」と声をかけていた姿がいまだに忘れられない。

 


妊娠から10ヶ月

どんどん変化する体の中でまだ見ぬ子守り、様々な苦難に襲われながら必死で毎日生活する。

 


やっとの思いで10ヶ月乗り越えたのに出産とはこれ程までに辛いのか。

 


世界中の妊婦さんとお母さんは偉大だ。

どんな理由であれ自分の身体で子を守り、産み、そんな奇跡を自らの身体でしっかりと乗り越えた事実

 


なによりも世界で1番凄い人になる瞬間だ。

 


私はもう2度と妊娠も出産もしたくないよ。

産後辛さなんて忘れちゃうよって何回も言われた。

確かに新生児は何にも比べられないくらい可愛いし、命の尊さに感動する。

痛みだって1年経ってもう忘れかけてて、妊娠期間の事も覚えていないことも沢山ある。

 


でもね

私は多分もう、妊娠しないし出産しないよ。

 


もう旦那様を泣かせたくないから

 


子どもは可愛いし、兄弟も作ってあげたいと思う。

けどその時また旦那様を泣かせてしまうよう気がしてならないんだ。

 


私は旦那様が好きで、大好きで、特別で、1番だから。

旦那様がいたから子供ができて、旦那様がいるから私は生活できてて、そうやっていろんな感謝や思いがあるから

 


それは違うよって言われても

うん、でも私はってちゃんと言える十分な理由なんだ。

 


まあそんな2020年一月からもう一年。

子供は驚くべき速さで成長し、毎日光の速さで駆け抜けてる。

 


まだまだいつまでも甘えん坊な旦那様とそっくりな甘えん坊な息子を両腕に抱えてお母さんと妻をやっていくんだ。

 


私まだまだ幸せ者だからね。