今日も昨日も明日も

 

「〇〇くんのママ!おはようございます」

 

そう呼ばれ始めて1年以上経つ

特にここ最近話かけられる事が増えたし、会話をすることが増えた。と言っても立ち話するほどの関係でもない。大抵は子どもたちが各々靴を脱いだり履いたり、帰る準備をしていたり、車に乗るまでのそんな合間だ。

 

そんな合間でも大人に余裕がない。というより子どもの方が余裕も時間も持て余しているのが良く分かる。送迎の時間に見たこともない子が「〇〇君(息子)のママだ!」と話しかけてくれる事や、自分の息子も知らない人をみて「〇〇ちゃんのママだ」と言う事があるからだ。そしてそれを覚えるのは中々に難儀なことなのだ。

知らない母親らしき人に声をかけられるだって緊張するし正直しんどい。

 

私からすれば朝登園してから「いってらっしゃい」と見送った後玄関を出て門まで歩き振り返るとそこには荷物の整理をしていたり、友達と遊びだしていたり私の事を見ず自分のすべき事に取り組んでいる息子の姿しか見たことがない。

少しも名残惜しそうにしないじゃあないか。と寂しくなった事も多々ある。

これだって親の心子知らずじゃないか?と。

 

そうはいっても実際は多分お互い様で、息子も私の背中を何度も寂しい思いをしてみていたのだろう。

 

 

と思いたい。

 

 

まぁ実際親が気にかけてもいなかった他の子どもと親しくなり、時に喧嘩をし、他の子どもの親まで認知し交流するその姿勢を見ていると子どもの方がきっと沢山の刺激の生活の中でとてつもないスピードで成長し続けているという事実に酷く感心している。

きっと生活に余裕があって時間を持て余しきちんと周りをよく観察しているのだろう。何度も心の中で思い出し名前を呼ぶ練習をしたり、思い更けてみたり、感じ考え行動したのだろう。そんなわが子がたまらなく愛おしいと思うの同時にそこに気づけるだけの余裕が私にあって良かったと少し安堵する。

 

子育てっていいな

衰退し後退しているだけと思いきや私自身色々な経験が出来ているな。

アウトプットの方法としてブログに書いているだけであまり意味のない行動だけどこの事柄をメモに残しておこうと時間を割いた事をちょっと褒めたい。

 

私は基本的に手帳でスケジュール管理をしているのだが月間のタスクっていうのはどうしてこう難しいものばかりなのだろう。日々のタスクをいうのは細分化されていて行動するのは簡単なのに、月間のタスクというのは非常に時間も労力も必要なもんだ。

 

実際そんな難しくはない。難しくはないのだけど、どのタイミングで出来るだろかどのくらいの時間を有するのだろうか。そんなことを考え行動するまでにまた時間を必要とするのだ。簡単に一日のスケジュールに組み込めない故に私の月間のタスクな訳だが。

 

これが実は月を跨いだり、事によってはタスクが消えたりする。

消える分にはまぁいいとしても、「月を跨ぐ」これは非常に厄介なのが分かって戴けるだろうか。

 

9月から10月に月を跨いだタスクが実は4件もある。もう現実から目を逸らしたい。それでも今日も私は「〇〇君のママ」と呼ばれ笑顔で返事をしよく知りもしない他人と交流しているのですこぶる偉い。と言う事だ。終わり