ノンシュガーは90秒後
時々何もかも甘くないと思う日がある。
甘くないものを欲する日もある。
夜にノンシュガーの珈琲を飲んだり
ほうじ茶を作って飲んでみたり
黄色の文字が緑に変わる時
意識を向けてみたりネ。
人から優しくされる度に
どうしてこの人は優しいのか時々考える。
勿論人によって答えは違うのだけれど
大体"ありのままの人間性が素敵な人だから"
と思うようにしている。
余裕が有るとか無いとかだと、
なんとなく"余裕"という言葉がいやらしくて
あざとく計算されたものに見えてしまう。
ありのままという計算できない丸出しの本質が"優しい"から、人に優しく出来ると思うのが1番腹落ちするのだ。
人に見えない面がどんなにいやらしかろうと
他人は見える面だけで評価をするから関係ない。
時にボロが出ても大半の人は其れが本質だと感じない。
自分の評価は他人が必要以上に簡単につけてくれるから
自己肯定と自己愛以外、自分を卑下するような要因は捨てて仕舞えばいい。
私は自己肯定がうまく出来ないし、自己愛って言うのも他人ありきでしか考えられない。
だから、もし、自己肯定出来て自分を愛せる人はずっとそのままし続けて欲しい。
私は、私の友人が世界上位者に入るレベルでみんな幸せになるべきだと思うし
その為に私が役立てるなら割と本気で何でもしちゃう。
だって、幸せになるべくして生きてる人ばかりだよ。
真面目で、努力家で、人の為に動けて、そして愚かで。
笑ってしまうくらいどうしようもない事で沢山泣いたり、笑ったり、傷ついては成長していく友人に
沢山の小さな不幸と問題を。
それを乗り越える力と得る経験値。
最後に全て終えた時に総合的に最大級の幸福を。
そうやってしかめっ面より沢山の笑顔が見たいから