「お腹引っ張るよ〜」「おきゃあ!」

 

ちょうど一年前の今日私は生まれてはじめての出産を経験した。


何となく、記録に残しておきたくなくて1年間触れなかった内容事細かく記録しようと思う。

 

慌ただしい10ヶ月を無事過ごし出産予定日の1月30日よりだいぶ早い1月15日産婦人科に入院。


出産が早まった理由は「妊娠高血圧症候群」の可能性がかなり高かった為である。

 


何が不安というわけでもないのに、兎に角寝れないのだ。1日の睡眠時間は3時間ほどで、どんなに食事を気をつけても睡眠が取れない為血圧が上がってしまっていたようだ。

 


先生に正産期に入ったら、すぐ産みましょう。と言われて内心では「いつ破水や陣痛が来るかわからない恐怖より早めに病院にいる方が安心だろう」と思い早めの出産を決意した。

 


私の入院した病院は旦那さんや家族の泊まりは自由だったので毎日旦那様が病室に泊まってくれていた。

 


夕方から促進剤を飲んで腕に針を沢山刺されお腹にも沢山のコード

部屋の中では赤ちゃんの心音がずっと流れている。

 


夕飯を済ませた頃に生まれて初めの陣痛を経験するも子宮口は開かず、陣痛もいつのまにか収まってしまってまた浅い眠りの夜についた。

 


深夜何度かアラームが鳴ったのをぼんやり覚えている。看護婦さんが何度も部屋を行き来して、時折お腹に微弱の電気を流していた。

 


特に痛くもないし、苦しくもない。

ただ眠気と闘いながら「大丈夫ですよ〜」って優しく笑う看護婦さんを「大変な仕事だな」と感心までしていた。

 


朝になって先生に検診してもらい、衝撃の事実を告げられる。

 


「あのね、門脇さん

落ち着いてこれ、みてもらいたいんだけど…」

 


そう言って差し出されたのは昨晩ずっと測っていた胎児の心音が記録された紙だった。

 


そこにはギザギザと線が書かれているのだが、一直線に書かれた場所が目に入った。

 


「ここ、一直線なの。

これね、赤ちゃんが心肺停止してしまっているんだ。

 


赤ちゃんによってはね

促進剤が合わない子もいるんだ。

 


でも今は心音聞こえるでしょ?

大丈夫ちゃんと生きてるよ。

 


このまま促進剤を飲んでもう少し出産まで頑張っても良いんだけど

もしかしたら生まれてきた時に元気がない事もあるから、

 


お母さんにはリスクを負ってしまうけれど、子どもがノーリスクで元気に生まれてくる1番の方法としては帝王切開だと思う。」

 


合間を持たず私は「それでよろしくお願いします。」と答えた。

 


あの紙を見た時ゾッとした。

私は勝手に命を作って勝手にその命の芽を摘み取ってしまうところだったのかもしれない。と怖くなったのだ。

 


私がどんなリスクを背負ってもこの子が元気に生まれてこれなかったら。と焦ったのも覚えている。

 


今になってみるとそんな風に思えたのはもう母親としての気持ちが芽生えていたんだろうな。

 


12時まで様子を見て子宮口が開かなかったら帝王切開にしましょうと先生と相談して約束の12時

 


「まったく開いていないね、切りましょう。」

 


その後14時半ごろ手術台へ移動

 


テレビで見るような完全な手術台とスタッフさん。

みんな私を見て「頑張りましょうね!」「ずっとこの部屋にいるで、辛かったら声かけてくださいね!」

 


これから手術をするのにどうしてそんなに励ましてくれるのか。

私は帝王切開の本当の辛さを何も分かっていなかった。

 

 

 

あらかじめ帝王切開って検索しなくてよかった。

だって背中に麻酔打つなんて知っていたら、受け入れられなかったと思う。

 


暴れないように両腕を固定して、まるで十字架に貼り付けられたキリスト。

 


背中に針を刺されてポカポカし始めた頃下半身が動かなくなった。

 


意識があるというのは大変怖いことだ。

 


お腹が切られている感覚も、臓器をいじられている感覚もしっかりあるのだから。

 


隣でお腹の見えない旦那様が「どんな感じ?」とお腹に意識が持って行くような質問ばかりする。

 


「だめ!いまお腹に意識持っていきたくないの。

怖い!気持ち悪い!別に意識をも出ていきたい」

 


「じゃあ〜赤ちゃん生まれたら何食べたい???」

手術中という中でジャンクなものしか浮かばず答えに困っていた時

先生から「お腹引っ張るねー」と声をかけられた。

その次の瞬間腰が軽く浮くくらいの勢いでお腹をぐんっと強く引っ張られ驚いた瞬間

 


「おぎやあああああ!!!」

2020年1月16日15:00 息子の誕生である。

 


その後はもう息を整えることで精一杯だった記憶しかない。

 


息子と旦那様は看護婦さんに連れられて部屋を出ていき

気持ちの悪い感覚だけのお腹とどんどん孤独と恐怖と不安で息が乱れていくのを止めるため、ただひたすら深呼吸をしていた。

看護婦さんが見かねて手を握ってくれたような記憶もあるが曖昧だ。

 


「いっそ殺してくれ」とずっと思いながら地獄のような時間を30.40分ほどだろうか。

 


手術が終わる頃には全身に脱力感…瞼さえ開けられなかった。

 


なんとなく薄目で開けられるが、すぐに閉じてしまう瞼と周りからの声もはっきりと聞こえているのに全く体が反応しない。

 


父母と友人が声をかけてくれたのを覚えているが、全くピクリともせずきっと疲れて寝ていると思ったのかすぐ帰ってしまった。

 


その後義母と義姉が部屋に来てくれたが旦那様と軽くお話をしてまたすぐ部屋を出た。

 


薄暗い部屋の中旦那様がずっと隣で手を握っていてくれたのをよく覚えている。

 


時々ほんの少しだけやっと目があき見えたの泣きながら手を握る旦那様だった。

 


「こんなはずじゃなかった。

こんなに辛い思いさせるなら子供はいらなかった。」っと泣きながら手を握っていたのがいまだに頭から離れない。

 


旦那様を泣かせてしまったと悲しくなった。

 

 

 

麻酔も切れたのに全く動かない身体に浮腫ませないようにマッサージ器具のようなものが足につけられた。

 


夜7.8時頃麻酔も切れ目も開けられ、旦那産と会話できるようになった。

 


少しでも動けばとてつもない痛みに襲われるため全く動くことができないが、旦那様と目を見て話せる事で心への負担が軽くなった。

 


だが、私は足につけたマッサージ器具がどうも合わず兎に角気持ちが悪いのだ。不快でたまらない。

 


本来なら次の日までつけておく予定の器具を深夜に外してもらった。

 


看護婦さんが驚くほど私は回復が早かったようだ。

体を浮腫ませないように自分で足首や体を動かすことができたし、

次の日子宮収縮と浮腫をなくすため歩きましょうと看護婦産に促されたが痛み止めの効果もあって次の日には1人で歩くことが出来ていた。

 


産婦人科で働いていた義姉が「手術の次の日に歩いてる人初めて見た」と驚いてた。

看護婦さんも「んん?大丈夫休みながらね!無理はしないでね」と心配するが

痛み止めのおかげもあるし、痛みを多少我慢すれば案外歩けるものだった。

 

 

 

 


子供を初めて抱いたのは出産してから4日後

あまりの小ささと、気味の悪さと、愛らしさと、尊さと、色々な感情に襲われた。

 


それでも看護婦さんでもなく、おとうさんでもなく、私に手を伸ばす姿が本当に愛らしかった。

 


必死におっぱいを探し、必死に母乳を飲もうとする。

 


私はまだまだうまくあげられないし

息子もまだまだうまく飲めないし

 


どうして泣くのか分からないし、

どれだけ泣いても伝わらないし、

 


2人で困りながら、それでもあの部屋で私達は懸命に互いを探り合って求めあったのだ。

 


入院中、はじめての3人の夜

枕元の灯に照らされながらひゃっくりする息子を抱きながら旦那様がこれでもかと優しい声で「ひゃっくり苦しいね、大丈夫だよ、すぐ治るからね」と声をかけていた姿がいまだに忘れられない。

 


妊娠から10ヶ月

どんどん変化する体の中でまだ見ぬ子守り、様々な苦難に襲われながら必死で毎日生活する。

 


やっとの思いで10ヶ月乗り越えたのに出産とはこれ程までに辛いのか。

 


世界中の妊婦さんとお母さんは偉大だ。

どんな理由であれ自分の身体で子を守り、産み、そんな奇跡を自らの身体でしっかりと乗り越えた事実

 


なによりも世界で1番凄い人になる瞬間だ。

 


私はもう2度と妊娠も出産もしたくないよ。

産後辛さなんて忘れちゃうよって何回も言われた。

確かに新生児は何にも比べられないくらい可愛いし、命の尊さに感動する。

痛みだって1年経ってもう忘れかけてて、妊娠期間の事も覚えていないことも沢山ある。

 


でもね

私は多分もう、妊娠しないし出産しないよ。

 


もう旦那様を泣かせたくないから

 


子どもは可愛いし、兄弟も作ってあげたいと思う。

けどその時また旦那様を泣かせてしまうよう気がしてならないんだ。

 


私は旦那様が好きで、大好きで、特別で、1番だから。

旦那様がいたから子供ができて、旦那様がいるから私は生活できてて、そうやっていろんな感謝や思いがあるから

 


それは違うよって言われても

うん、でも私はってちゃんと言える十分な理由なんだ。

 


まあそんな2020年一月からもう一年。

子供は驚くべき速さで成長し、毎日光の速さで駆け抜けてる。

 


まだまだいつまでも甘えん坊な旦那様とそっくりな甘えん坊な息子を両腕に抱えてお母さんと妻をやっていくんだ。

 


私まだまだ幸せ者だからね。