「ひろし」が死んだ。
私の家族は随分と生き物が好きで昔から動植物に囲まれる生活を送って育ってきた。
物心ついた時には動物と暮らしていたし、生活の拠点も山奥の自然に囲まれた場所だった。
祖母に花や木を教えて貰い、祖父に自然の難しさを教えてもらった。
母は動物への愛を語る人で、父は現実的に飼育への関心が強い人だった。
家には大きな水槽が3つありいつもカラフルな熱帯魚が数え切れないほど泳いでいた。
また我が家は絶えず犬を飼う家で、今まで沢山の犬を育てて死を経験した。
小型犬、中型犬、大型犬
様々な奇跡を感じたり、命の尊さを嫌というほど目にしてきた。
タイトルに書いた「ひろし」は正確には我が家の犬ではない。
ひろしの兄弟にあたる「まる」が我が家の犬だった。
小学生の頃坂道を登って帰ってくるのだが、家が見える時まるが1番に私の帰りを迎えてくれるのが好きだった。
少し呆けた顔で良く笑う犬だった。
知り合いの処に行ったひろしはもう18歳
随分と長生きも長生きで、立つことも出来なくなっていた。
もうこの冬は越せないだろうと周囲の意見もあってまると同じ生まれ育った地で見届けたいという母の意見もあって我が家に帰ってきたのだ。
記憶ではひろしは濃いグレーの毛だったのに、18歳になったひろしは白っぽくなっていた。
相変わらず鋭い目つきでありながらも、もう呼吸をすることだけにも必死なひろしをみて私は愚かにも涙が出そうになった。
母と父の世話のおかげもあってか立てずにいたひろしは身動きを取り直せるほどの体力が回復した。
だが、昨日の夕方命を引き取った。
すぐ葬儀屋へ連れて行ったようだが、私は涙が止まらなかった。
元々私は家族の中で唯一動物を飼うのが好きじゃなかった。
必ず私より先に死ぬ動物を、勝手に育てるのが嫌いだった。
普段からかける言葉も、愛情も、弔いの言葉も、全てが嫌いだ。
あの死ぬ前の呼吸の速度、死んだのに暖かい身体と、そこから段々と冷たく硬くなる体。
ついさっきまで、つい今朝まで、つい昨日まで、生きていた物の死に直面するのは
それが人間であれ、人間以外の動物であれ、見るに絶えないんだ。
犬も猫も牛も鳥も魚も、死の直面には必ず身を背けてしまう。だから私はいつまでも憐れなんだ。
偽善者じゃないから肉も食べる、でもみんなそうでしょ。
小学生じゃないもの「いのちとは、、、。」って思いながらご飯食べたりしないでしょ?
あくまでも私たちの生活の基準があって各々生活してる訳だし、その中の私は死を省いてきたって話
自分の育てた動物や身近な人が死ぬっていうのはきっと何歳になっても慣れないよ。